2020年5月17日日曜日

ヒストリーチャンネルに配信された「スペインかぜ」の記事要約


 歴史総合エンタテイメントの専門チャンネル、「ヒストリーチャンネル」がスペインかぜの記事を配信していたので、翻訳して要約してみる。

 Why the Second Wave of the 1918 Spanish Flu Was So Deadly 

 1918年に流行したスペインかぜは、なぜ第2波が致命的だったのか。

 「スペインかぜ」として知られる1918年のインフルエンザの大流行の恐ろしさは、想像を絶するものがある。このウイルスは世界中で5億人が感染し、推定で2,000万~5,000万人もの犠牲者を出した。これは第一次世界大戦中に殺された兵士と民間人を合わせた数よりも多い数だ。
 世界的な大流行は2年間続いたが、1918年秋~3ヶ月間には、かなりの数の死者が出た。歴史家は現在、スペインかぜ「第2波」の致命的な重症度は、戦時中の部隊の移動によって広がった変異型ウイルスによって引き起こされたと考えている。

 1918年3月初旬、スペインかぜが初めて発生したとき、それは非常に伝染力が強く毒性の強い株ではあり、季節性インフルエンザの特徴すべてを持っていた。
 最初の症例の一つは、米カンザス州のキャンプ・ファンストンにいた米陸軍のコック、アルバート・ギッチェル氏で、彼は40度の熱を出して入院した。ウイルスは、54,000人の兵士がいる陸軍の施設内で急速に広がった。月末までに部隊の1,100人が入院し、38人が肺炎を発症して死亡した。

 米軍が第一次世界大戦のために大挙して投入されたため、1918年4~5月にかけてこのウイルスはイギリス、フランス、スペイン、イタリアで大流行した。1918年春には、推定でフランス軍の4分の3、イギリス軍の半分が感染した。しかし、ウイルスの第1波は、高熱や倦怠感などの症状が通常3日間しか続かず、特に致命的なものではないようだった。当時の限られた公衆衛生データによると、死亡率は季節性インフルエンザとほぼ同じであった。
 1918年春にインフルエンザが大流行したことを報道したのはスペインのジャーナリストだけだったため、この新型ウイルスの世界的流行は「スペインかぜ」として知られるようになった。

 スペインかぜの症例報告は1918年の夏に減少し、8月初めには流行が終息したとの希望があった。振り返ってみると、嵐の前の静けさだった。ヨーロッパのどこかで、スペインかぜウイルスの変異株が出現した。この変異株は、感染の徴候が現れてから24時間以内に、完全に健康な若い男女を殺す力を持っていた。
 1918年8月下旬、英仏海峡に面したプリマス港を軍艦が出航。知らず知らずのうちにスペインかぜに感染した部隊を乗せていた。これらの船がフランスのブレスト、米国のボストン、西アフリカのフリータウンなどの都市に到着したことで、世界的なパンデミックの第2波が始まった。
 1918年9~11月にかけ、スペインかぜによる死亡率が急増した。米国だけでも10月だけで195,000人がスペインかぜで死亡した。

 通常の季節性インフルエンザとは異なり、スペインかぜの第2波は年齢別の死亡率に「Wカーブ」と呼ばれる現象が見られた。

 25~34歳の年齢層で死亡率が上昇した理由は不明。
 スペインかぜの第2波で死亡した兵士の検死を行っていた英国の軍医たちは、肺への大きなダメージは化学戦の影響に似ていると述べた。

 1918年秋のスペインかぜの急速な流行は、少なくとも、戦時中に検疫を実施しなかった公衆衛生当局者のせいであると考えられている。例えばイギリスでは、アーサー・ニューショルムという政府高官が、伝染性の高いスペインかぜの蔓延に対抗するには、民間人を厳重に隔離することが最善の方法であると十分に理解していた。しかし、軍需工場で働く労働者やその他の民間人を家に閉じ込めることで、戦争に支障をきたすというリスクを取ることは出来なかった。

 1918年にスペインかぜ多くの命が奪われた主な理由の1つは、科学にこのウイルスのワクチンを開発する手段がなかったからだ。1930年まで、顕微鏡でウイルスのような信じられないほど小さいものを見ることさえできなかった。

 1918年12月までに、スペインかぜの第2波は過ぎ去ったが、世界的流行は終息にはほど遠かった。第3波は1919年1月にオーストラリアで発生し、最終的にヨーロッパと米国に再び戻ってきた。ウッドロー・ウィルソン大統領は1919年4月、パリで開かれた第一次世界大戦の和平交渉当時、スペインかぜをひいていたという。

 第3波の死亡率は第2波と同じくらい高かったが、1918年11月の終戦により、これほどまでに急速に蔓延することができた条件が取り除かれた。第3波による世界的な死者数は数百万人に達したが、第2波による終末的な被害と比べると、減少した。

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